【平沼騏一郎】「船員保険法」が成立。

(1939年04月06日)

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https://ja.wikipedia.org/wiki/平沼内閣

戦時体制下にあった当時、船員の保護と、
それによる海上輸送力の確保を目的に制定された。

船員と、その家族が対象であり、
職務外の原因による疾病、負傷、死亡、出産に対して、
保険金が支払われていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/船員保険法

戦時色強まる昭和15年(1940年)の秋、
厚生年金(当時は労働者年金保険)の
創設を発表する記者会見で
厚生省の年金官僚・花澤武夫氏は
こう演説した。

「労働者の皆さんが
軍需生産に励んで
この戦争を勝ち抜けば、
老後の生活が
年金で保証されるだけでなく、
いろんな福利厚生施設によって
老後の楽しみを満たすことができる。

年金の積立金の一部で
1万トン級の豪華客船を数隻つくり、
南方共栄圏を訪問して
壮大な海の旅を満喫いたしましょう」

翌日の朝刊各紙は
社会面に5段ぶち抜きで報じ、
労働者年金は
“夢の年金”を求める国民の声を背景に
昭和17年(1942年)に創設。

2年後に厚生年金と名称を変えた。

日本の年金制度は
戦費調達が目的だったとされるが、
正確ではない。

年金官僚は年金資金で
アウトバーンや労働者住宅を建設した
同盟国・ドイツの
ヒトラーの手法に倣い、
創設当初から流用を考えていた。

https://www.moneypost.jp/553270

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