ペストの流行に伴い、ジュネーブでユダヤ人虐殺が発生。

(1348年)

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ユダヤ教徒のペストによる犠牲者が少なかったとされ、
ユダヤ教徒が井戸へ毒を投げ込んだ等のデマが広まり、
非ユダヤ教徒からの迫害や虐殺が行われた。

ユダヤ教徒に被害が少なかったのは
教義に則った生活のために
キリスト教徒より衛生的であったからであるというが、
比較衛生学的な実態は不明である。

(中略)

この黒死病の時代、
ユダヤ人は
特に南ドイツで迫害され
家を焼き打ちされた。

マインツだけで、12,000 人が、
焼き殺されたという*8。

1348 年には、
ジュネーブでもユダヤ人虐殺が起きた。

貴族と市当局は
ユダヤ人に対して
大きな負債を抱えていて
ペストは貴族や市当局に
彼らが軽蔑していた債権者ユダヤ人を取り除く
利己的で絶好の機会を与えたことになる*14。

ユダヤ人のいないライプチヒやマルデブルグなどでは、
死のイメージが強い墓堀人が罪人に仕立てられた。

さらにはユダヤ人を保護しようとしたキリスト教徒も
一緒に処刑された。

こうしてユダヤ人は、
ポーランドやリトアニアに逃げ込んだ。

しかし、そこで何とか生き延びていた彼らの子孫は、
ナチスによるさらに過酷な仕打ちを受けることになった。

ユダヤ人をスケープゴート(しょく罪の山羊)とする考え・傾向は
ヨーロッパ文化圏において
イエス・キリストの磔刑以来、
ナチスドイツの 600 万人というホロコースト(大量虐殺)に至るまで
2000年間
断続的に続いている。

http://www.eiken.co.jp/modern_media/backnumber/pdf/MM1002_03.pdf

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