第 1 回十字軍が始まり、パレスチナから、ペスト菌が伝播される。

(1096年)

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3. モンゴル軍の大移動が引き金となった

中世ヨーロッパでの大流行(第 2 回の世界流行)

軍事行動による人の大量移動が
ペスト流行の背景にあった点が、
11 世紀と 14 世紀の 2 つの流行で共通している。

1032 年に
インドからペルシャに広がった流行があったという。

少し遅れて 1095 年の
教皇ウルバヌス 2 世の呼びかけによる
第 1 回十字軍(1096 ~ 1099)があり、

パレスティナからの十字軍の帰還船が、
クマネズミを運び、

その結果として
ペストをヨーロッパに持ち込んでいる。

十字軍は、
第 2 回 1147 年、
第 3 回 1191 年にも、
クマネズミをペスト菌と一緒に
船でヨーロッパに運んでいる。

そして、14 世紀には
全ヨーロッパにまたがる大流行が発生した。

この背景には
モンゴルの
ユーラシア大陸を横断する版図の拡大がある。

バトゥに率いられたモンゴル軍は、
破竹の勢いで
遥か東方のモンゴルからヨーロッパに到達し、
1241 年にはポーランド(ワールシュタットの戦い)や
ハンガリー(オーフェンの戦い)にまで侵入している。

1243 年にはウクライナ、
ロシアから中央アジア北部にかけて
キプチャク汗国を、

また、1258 年には
中東から中央アジア南部にかけて
イル汗国を建国している。

このモンゴル軍の東西の移動や、
それに続くモンゴル帝国支配下での
ユーラシア大陸東西の交易が盛んになったことが、
この大流行の背景にあると考えられている。

ヨーロッパに先立ち
ペストは中国で大流行している。

1333 年に旱魃と飢饉が襲っており、
それに続いて 1334 年に
杭州で大量の悪疫死亡があったが、
これがペストであったと考えられる。

http://www.eiken.co.jp/modern_media/backnumber/pdf/MM1002_03.pdf

(472年以降、ペストは西ヨーロッパから姿を消していたが)
アジアで発生し、

シルクロードを経由してヨーロッパに伝播し、
世界規模のパンデミックとなった。

全世界でおよそ8,500万人、
当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2に当たる、
約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ペスト#ペストの歴史

世界の歴史をふりかえると、
数回の全地球規模の流行(パンデミック)が記録されており、

特に14世紀に起きたペストの大流行では、
世界で1億人ほどの人々が死に、
当時の世界人口を4億5000万人から
3億5000万人にまで減少させた[2]。

ヨーロッパでは
1348年~1420年に大流行し[3]、
ヨーロッパの全人口の30%~60%が死亡した[3]。

イギリスやイタリアの街や村の中には
人口の80%が死亡したところもある。

社会構造を変えてしまい、
現代にまで至る痕跡を残すほどの打撃を与えた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ペスト

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