モンゴル軍の遠征に伴い、ペストが中国で大流行。
(1334年)ヨーロッパに先立ち
ペストは中国で大流行している。
1333 年に旱魃と飢饉が襲っており、
それに続いて 1334 年に
杭州で大量の悪疫死亡があったが、
これがペストであったと考えられる。
http://www.eiken.co.jp/modern_media/backnumber/pdf/MM1002_03.pdf
14世紀の大流行は
中国大陸で発生し、
中国の人口を半分に減少させる猛威を振るった。
当時ユーラシアの一大勢力を築いていたモンゴル帝国では
チンギス・ハーン末裔の諸家どうしの権力抗争が続いていたところへ流行が襲い、
諸家の断絶を招いて帝国を衰亡させる要因となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ペスト#ペストの歴史
(472年以降、ペストは西ヨーロッパから姿を消していたが)
アジアで発生し、
シルクロードを経由してヨーロッパに伝播し、
世界規模のパンデミックとなった。
全世界でおよそ8,500万人、
当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2に当たる、
約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ペスト#ペストの歴史
世界の歴史をふりかえると、
数回の全地球規模の流行(パンデミック)が記録されており、
特に14世紀に起きたペストの大流行では、
世界で1億人ほどの人々が死に、
当時の世界人口を4億5000万人から
3億5000万人にまで減少させた[2]。
ヨーロッパでは
1348年~1420年に大流行し[3]、
ヨーロッパの全人口の30%~60%が死亡した[3]。
イギリスやイタリアの街や村の中には
人口の80%が死亡したところもある。
社会構造を変えてしまい、
現代にまで至る痕跡を残すほどの打撃を与えた。
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