【総務庁】青少年審議会が「ひきこもり」を無気力と関連付ける答申を発表。
(1991年)「ひきこもり」という名詞形での言葉が
新聞記事に初めて登場したのは
1980 年代末から1990 年代初頭であり、
「ひきこもり」はこの頃から
社会問題の一つの語彙となったと言える(石川 2015:123)。
これらの記事は
政府による青少年対策を扱ったものであった。
当時の青少年対策における「ひきこもり」の捉え方を示す資料の一つとして、
総務庁内に設置された諮問機関である青少年審議会による
1991 年の答申
『青少年の無気力、引きこもり等の問題動向への基本的な対応方策
——活力溢れる青少年の育成を目指して——』
を参照する。
ここでは「ひきこもり」は
しばしば「無気力や引きこもり」というように
「無気力」と並べた形で記述されており、
「無気力や引きこもり」は
「周囲の環境や社会生活になじむことができなくなったり、
積極的に対応する努力が困難になったりする」
青少年の問題行動である
「非社会的問題行動」に区分されている(青少年審議会 1991:4)。
また、「無気力」に関する説明部分において
「近年、特にその程度の著しい社会生活への不適応、
引きこもり等を示すものが問題となってきている」
(青少年審議会 1991:3)という記述もあり、
「ひきこもり」を「無気力」と関連付けて捉えている様子が伺える。
1990 年に刊行された『平成元年度版青少年白書』においても
「引きこもり」は上記答申と同様
「無気力」などとともに「非社会的問題行動」に分類され、
「引きこもりは、例えば、一日中自室にこもったり、
食事も自室に持ち込んで一人で摂ったりするなど、
家族以外の人間だけでなく
家族との接触までも最小限にしようとするもの」
と説明されている(総務省青少年対策本部 1990:27−28)。
石川(2007)は
この記述に見られる「ひきこもり」の状態像が
近年のイメージと近いことを認めながら、
この白書について報じた新聞記事を取り上げ、
「当時問題視されていたのは
若者が無気力で活力に欠けることであって、
〈社会参加〉していないことではなかった」
ことを指摘している(石川 2007:47)。
このように、この時期における
「ひきこもり」という言葉は、
主に若者の「無気力」と
関連づけられて使われていたと言える。(p.5)
(中略)
「ひきこもり」問題をめぐる 1990 年代の動向を、
石川(2007)は「不登校からの分化」(石川 2007:49)、
高山(2008)は「不登校から『ひきこもり』へ」(高山 2008:44)と
いう言葉で表しており、
1990 年代は不登校との差異化の文脈で
「ひきこもり」が問題化された時期として
位置づけられていることが分かる。
不登校が怠けや病気と見なされた 1960年代から 1980 年代、
不登校児のほとんどは
家の中にこもり続ける「ひきこもり」の状態
(当時は「閉じこもり」と呼ばれた)をともなった。
しかし 1990 年頃、
不登校は特定の子どもの問題であり
治療や矯正の対象であるという考え方から、
「不登校はどの子どもにも起こりうる」
ものであるという認識への転換が生じたことで、
「不登校の脱問題化」が進む。
「学校に問題がある」
「学校に行かない生き方もある」
といった考えのもと
フリースクールなど学校以外の場が用意され、
不登校児の多くは外に出られるようになり、
人々の目には不登校問題は解決したように映った(高山 2008:30-35)。
こうした動向の中で
未解決のまま取り残された不登校問題の一部が、
不登校児の「その後」としての
「ひきこもり」として問題化されたのである。
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