ペーター・シェーファーが『マインツ聖詩集』を刊行。
(1457年)グーテンベルクと共に
『四十二行聖書』を印刷したペーター・シェーファーは、
その後、ヨハン・フストと
マインツで印刷を続けました。
シェーファーは一四五七年、
印刷史上初めて、印刷された日付と印刷者の名前を入れた書物『マインツ聖詩集』を刊行し、
また、初めてプリンターズマークを用いた人物としても知られています。
https://www.printing-museum.org/collection/looking/04_09.html
グーテンベルクは
ヨハン・フストなる裕福な金貸しから
事業資金を得ることに成功した。
フストは設備費として800グルデンを貸し付け、
二人は共同事業者として新規事業を立ち上げた。
またその頃フストが
ペーター・シェッファーという青年を
グーテンベルクのもとに連れてきた。
シェッファーはパリで写字生の経験があり、
いくつかの最初の書体をデザインしたと考えられている。
シェッファーは後に
フストの娘クリスティーナと結婚して婿になり、
印刷業をビジネスとして成功させることになる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨハネス・グーテンベルク
残念なことにグーテンベルクは
聖書印刷のために借金をしたが、
その借金を返済できず、
裁判の結果印刷機具のすべてを失い、
借金を抱えたまま死亡し、
すべてはフストを含む債権者の手に渡った。
- このできごとのURL:
コメント