【拓銀】SSKトリオが失脚。

(1992年06月)

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インキュベーター路線の象徴だった海道が,
総合開発部の責任者として行っていた乱脈融資の責任をとらされ,
1992 年 6 月に,
関連会社のタクトの社長に就任するという形で
関連会社に追い出されることになった。

トリオの一番下の者だけが,
明確な形で責任を取らされることになったが,
拓銀行内のパワーバランスは一気に揺らぎ,
バブル期に権勢を誇っていた鈴木相談役,
佐藤安彦副頭取,
そして海道常務の SSKトリオは崩壊した。

その後は,海道と同期の 河谷禎昌が
常務から専務に昇格し,
山内宏頭取の側近として
バブル清算の陣頭指揮を執った。

http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/1736/1/be415_01hattoriyasu.pdf

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