【宮沢内閣】株価の急落を受けて、公的資金の導入を示唆するも断念。

(1992年08月)

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金融システム不安解消のための公的資金投入をめぐる政治過程は,
1990年代に 3 回の山場があった.

その第 1 回は,
1992 年 8 月,
株式市場の急落を契機として
宮沢首相が公的資金導入を示唆した第 1 幕.

1995 年に表面化し,
96 年に公的資金投入が決定された住専問題をめぐる第 2 幕.

そして,
1997 年 11 月の
三洋証券,北海道拓殖銀行,山一證券の連続破綻以後の
公的資金導入をめぐる政治過程の第 3 幕である.

しかし,この第 3 幕を経ても
不良債権処理は進まず
金融システム不安は 21 世紀にもち越された.

金融システム不安の解消は,
小泉内閣における竹中プランまで待たなければならなかった.

第 4 幕は,
金融再生法に基づく金融機関の破綻処理や,
早期健全化法に基づく
金融機関の自己資本増強などを担当する
金融再生委員会が設置されてから
竹中プランの実施がなされるまでの期間である.

http://www.esri.go.jp/jp/others/kanko_sbubble/analysis_04_07.pdf

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