竹下大蔵大臣が、ベーカー財務長官と会談し、ドル安誘導を提案。
(1985年06月22日)-6月22日 竹下・ベーカー会談-
竹下蔵相は、ベーカー長官に、
ドルを安くしないかと説得しました。
意外にも、ベーカー長官は、
日本の提案に同意しました。
-ワシントン-
ベーカー長官は、日本訪問の一ヶ月前、
すでにドル安への決意を固めていました。
ベーカー
「ドル高を放っておくような為替政策を
完全に変える必要がありました。
議会の保護主義の炎を、
消さねばならなかったのです。」
強いアメリカ、強いドルを掲げ、
国民の人気を集めようとしたレーガン大統領。
強いドル。ドル高政策で、
貿易赤字は、一気に膨らんでいきました。(12:30)
それでも大統領は、ドル高を放置し続けます。
議会の政権批判が、日増しに高まっていました。
政権の危機を感じたベーカー長官は、
強いドルの放棄を決意、ドル安作戦の検討が始まりました。
しかし、財務省のスタッフは、
為替市場を動かすことは容易ではないとみていました。
マルフォード
「市場介入を行えば、ドルが安くなるというのは、尊大な考えです。
市場はコントロールできません。
為替を動かすには、”政策協調”が必要でした。」
ベーカー長官たちは、
ドルを動かすには、二つの戦術が必要だと考えました。
市場介入、そして政策協調です。
「政策協調」とは、相手の国の政策に注文をつけ、
約束したことは守ってもらおうというものです。
マルフォード
「日本には、もっと国内での消費を
増やしてもらう必要がありました。
そのためには、減税をやってもらい、
景気にテコ入れしてもらうことが重要でした。
そうなれば日本は、
輸出に振り向けた分を、国内で消費するようになり、
さらに、輸入も増えるので、貿易不均衡は解消する、
私達は、そう信じたのです。」
円高ドル安を共に合意した日本とアメリカ。
日本は、市場介入を重視していました。
一方、アメリカは、
政策協調のほうが重要だとみていました。
日米合意のウラに、微妙なズレがあったのです。
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