【中曽根内閣】「リゾート法」が成立。

(1987年05月22日)

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https://ja.wikipedia.org/wiki/総合保養地域整備法

リゾート法案は1987年3月25日、
第108回国会に提出され、
5月14日に
まず参議院建設委員会で審議された。

審議において、野党議員からは、

「国民がリゾート休暇を楽しむ前提となる
労働時間の短縮についてどう考えているか」

「リゾート地域開発が
環境破壊につながらないか」

「地域振興策として
どのような方策を考えているのか」

といった疑問が政府に寄せられた。

しかし、野党議員の追及は
それほど厳しいものとはならず、
審議はわずか1日で終了した。

野党のうち日本共産党(共産党)は、
環境破壊・地価上昇・地方財政の悪化を招くとして
リゾート法案に反対したが、

社会党をはじめ他の野党は
賛成に回った。

(中略)

5月22日の衆議院建設委員会でも
参議院とほぼ同様の審議がおこなわれ、
法案可決後、
「地方公共団体の負担の軽減を図るよう努めること」を
新たに盛り込んだ附帯決議が
全会一致で採択された。

同日、衆議院本会議でも
リゾート法案は可決され、
6月9日に交付施行された。

このように
リゾート法案がスピード採択された背景には、
当時、中曽根内閣が提出していた売上税法案に
野党の関心が集中しており、
他の法案の審議がなおざりになっていたことがあげられる。

また、国会会期中に
統一地方選挙が実施されたこともあり、
国会論戦は概して低調であった。

こうして、リゾート法案は
国会でそれほど注目を集めることもなく、
あっさりと成立したのである。

(中略)

そして、リゾート法の特徴の中で
最も大きな問題点は、
「民間活力の活用」の名の下に
開発の主体が
第三セクターを含む
民間事業者と定められたことであった。

リゾート法では、
リゾート地域として整備を促進すべき地域の
指定を希望する都道府県知事は、
主務大臣が策定する基本方針に基づいて
基本構想を主務大臣に提出し、
承認を受けることと定められている。

だが、その基本構想は

「個々の民間事業者の
リゾート整備に関する構想や
計画を踏まえて作成されるべきもの」

とされたため、
リゾート法の適用を希望する地方自治体は、
パートナーとなるべき民間事業者を
見つけ出す必要があった。

一方、民間事業者の
リゾート地域開発を促進するため、
民間事業者に対しては、
税制・資金面で
様々な優遇措置がとられた。

また、国有林野や
港湾の開発に関する規制も
特別に緩和された。

やがて、バブル景気の過熱によって
金余りの現象が生じると、
それまでリゾート地域開発に
縁のなかった企業までもが、
格好の資本の投資先として、
リゾート地域開発に
乗り出すようになった。

そのような企業のリゾート地域開発責任者の中には
「大学時代にヨット部に所属していた」
という理由だけで選ばれた人物も存在したという。

それほど
企業のリゾートに対する認識は
低かったのである。

そのため、
リゾート法が適用された地域では、
長期的な視野にたって、
地域社会に合ったリゾートを開発するのではなく、
手っ取り早く
投資した資金が回収できる事業が優先された。

ゴルフ場開発、別荘やリゾートマンションの分譲は
初期投資が回収しやすい事業なため、
多くのリゾート開発地域でおこなわれた。

また、別荘やリゾートマンションの
付加価値を高める遊歩道や
テニスコートの建設も
数多くの地域でおこなわれた。

こうして、
リゾート開発地域に建設される施設は
どれも似たりよったりとなり、
「金太郎飴」と揶揄された。

リゾート地域の特定施設の中でも、
ゴルフ場はもっとも多く建設された施設である。

当時、ゴルフ場の会員権は、
ゴルフ場の建設に先立って
販売することが認められていた上に、
投機の対象として
高値で取引されていたことから、
初期投資の回収にうってつけであった。

https://www.tsu.ac.jp/Portals/0/research/22/135-143.pdf

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