【中曽根内閣】円高不況への対策として、6兆円の「緊急経済対策」を決定。(うち減税が1兆円)
(1987年05月)中曽根 S57.11-S62.11
総合経済対策(S61.9) 約3兆円の公共投資等の増加
緊急経済対策(S62.5) 5兆円の公共投資等の確保
http://www2.hokurikutei.or.jp/lib/shiza/shiza99/vol4/pdf/9910.pdf
”最終的には、1兆円前後の自然増収を生ずる情勢
(いずれも土地と株がらみの増収)”
元日銀理事 中川幸次
「今にして思えばその、これだけ自然増収があった時に、
んもう景気もよくなりかけたんだと。
いうように思って、しかるべきだと思うんですけど、
その当時は、それよりもまだ世間で、円高不況という声が
非常に圧倒的に強かったわけですから。
その方に、押されたってことでしょうね。」
-産業機械メーカー(大阪)-
この頃、政府の読みと違って、
企業の多くは、円高に適応し始めていました。
コストダウン。
円高による輸入原材料費の低下。
あの大阪の機械メーカーも、採算の取れる為替レートを、
1ドル=200円から130円にまで下げました。
この年の利益は、
円高不況前とほぼ同じ6億円に戻りました。
”6億2,837万190円”
円高不況を脱し始めた日本経済。
そして忍び寄るバブルの影。
そこに、アメリカの要求に応える
戦後最大の景気対策が行われようとしていました。
-首相官邸-
5月。大蔵省から原案が上がってきました。
その規模は、5兆円でした。
中曽根
「大蔵省、官房長官が持ってきたのが、
5兆円ていうのを持ってきた。
で、それを1兆円増やしてやった。
鉛筆で5兆を6兆に直した。
それであっと驚いた。世の中の人は。」
景気対策は、1兆円の減税を柱とする過去最高の6兆円。
あの円高を認める発言は止まりました。
内需は急拡大します。
株、絵画、土地転がし、マネーゲームが日本列島を覆います。
高級品が飛ぶように売れ、貿易黒字は減少していきました。
-東京臨海副都心 建設予定地-
好景気がずっと続くと信じ、巨大開発が相次ぎます。
しかしそれは、バブルという、うたかたの内需拡大でした。
宮沢
「私も何度も考えてみるんですけれども、
とにかく日本経済は青色吐息で、死ぬかどうかってんで、
いろんなことを薬、注射したりなんかやっててですね、
そのときに、これが将来、
なんかの災いになるだろうなんて考える余裕はない。
あんときから、あんときこういうふうに、
このスクリューを回せばいいと、
いうようなタイミングていうのは
私にはやっぱり考えられないなぁ。」
戦後、経済最優先の道を突き進み、
世界の脅威となった日本。
貿易立国として生き延びるため、
日本は円高を政治決断しました。
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