【田中角栄】山一證券に日銀特融して破綻を回避。
(1965年)昭和40年(1965年)の証券恐慌で経営危機に陥ったものの、
当時の田中蔵相による日銀の特別融資を受けて、体力を回復した。
しかし、代償に
国際化&コンピュータ化に乗り遅れた上に、
店舗数の大幅削減による収益力の低下、
バブル崩壊による市場の低迷で
他の3社に大きく水をあけられ、
大口の法人投資家への損失補てんなど
1991年の「証券スキャンダル」で
身動きがとれなくなった。
さらに、総会屋への利益供与や、
含み損を抱えた顧客企業の有価証券を
ペーパーカンパニーに引き取らせる
「飛ばし」による簿外損失が膨らみ、
決定的に企業信用を失墜させ、
自主廃業に追い込まれてしまった。
その張本人の一人が行平次雄である。
http://ukmto.at.webry.info/201004/article_11.html
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