アメリカ・インディアン悲史(1.1版)
「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭の年表より作成1.1版:「インディアスの迷宮 1492-1992」(勁草書房)の情報を追加
1492年 |
08月 | コロンブス、サンタ・マリア号、ピンタ号、ニーニャ号の船団を率い、バロス港を出航する(1492年08月03日)出展:「インディアスの迷宮 1492-1992」(勁草書房) |
10月 | コロンブス、アメリカ大陸(バハマ諸島のサン・サルバトール島)に到着(1492年10月12日)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正)… |
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1539年 |
- | スペイン人の持ち込んだ天然痘が猛威を振るう(1539年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1546年 |
10月 | 神学者ディエゴ・ライーネス、トレントの公会議にて新大陸布教の正当化解釈を主張する(1546年10月26日)出展:「インディアスの迷宮 1492-1992」(勁草書房) |
1607年 |
- | イギリス人の植民者105人がジェイムズ・タウンに上陸。ヴァージニア植民地の建設が始まる(1607年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1608年 |
- | サミュエル・ド・シャムブレンらフランシスコ会修道士、ケベックに上陸。毛皮取引の拠点を築く。シャンブレンはヒューロン族と手を結び、イロコワ族に戦いを挑み勝利する(1608年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1609年 |
- | オランダに雇われたヘンリー・ハドソンの探検。オランダが本格的に植民地の建設に乗り出す(1609年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1612年 |
- | イギリス、部族連合ポワターンの小部族の村を襲い、食料を略奪(1612年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1613年 |
- | ポワターン族と白人が和平協定を結ぶ(→1618)(1613年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1620年 |
- | メイフラワー号に乗った清教徒たち101人がプリマスに上陸(1620年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1622年 |
- | ポワターン族、ヴァージニア植民地ジェイムズ・タウンを襲撃。350人の白人を虐殺(1622年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1630年 |
- | 毛皮の交易をめぐる部族間の争いに、ヨーロッパの国々の利害が絡まり、イロコワ戦争始まる(1630年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1637年 |
- | ペコート族の戦い。白人はペコートと古来からの敵ナラガンセット、モヒカン族を味方に入れて、ペコート族を抹殺(1637年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1644年 |
- | ポワターン族の長老オペチャンカヌウの決起。白人400人殺戮。オペチャンカヌウ逮捕され射殺(1644年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1646年 |
- | ポワターン族、領土の一部割譲を認める条約に署名(1646年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1649年 |
- | イロコワ族はフランス宣教師2人を含むヒューロン族を襲い、シャムブレンへの復讐を果たす(1649年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1657年 |
- | 第4次イロコワ戦争。(→1667)イロコワ族、フランスとの平和条約に署名(1657年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1675年 |
- | ニュー・イングランドにおけるワムパナグ族の長メタカム通称キング・フィリップの反乱、キングフィリップ戦争。(→1676)フィリップは殺され、その首は25年間晒される(1675年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1740年 |
- | イギリス人がフランス植民地に攻撃を仕掛け、インディアンも巻き込まれて応戦する(1740年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1756年 |
- | 7年戦争に発展。英仏とそれに巻き込まれたインディアンも戦争に加わり、同盟諸部族が参加(1756年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1763年 |
- | パリ条約。英仏戦争、イギリスの勝利で終わり、ミシシッピ以東すべてがイギリス領土となる(1763年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) ポンティアックの戦い。オタワ族長ポンティアクがイギリス植民地を攻撃し、イギリス軍に不安が拡がる。イギリス国王が宣言を発し、西武の地がインディアンの物であることを認める(1763年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1775年 |
- | アメリカ独立戦争。(→1783)各部族がアメリカ側とイギリス側に別れることによってイロコワ連邦は事実上解体する。パリ条約によって、アメリカ合衆国が承認される(1775年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1787年 |
- | 合衆国憲法制定と同時に北西部領地条例も制定。これによって白人による自由な西部開拓が保証される(1787年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1790年 |
- | マイアミ族とその長リトル・タートル・ミチキニクワを撃破しようとした討伐隊の惨敗。司令官ジョセフ・ハーマーの失脚(1790年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1791年 |
- | 将軍セント・クレアもリトル・タートルにしてやられ失脚(1791年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1792年 |
- | マイアミ連合の解体を図る(forked tougne=二枚舌と呼ばれた)ワシントンによる多数のインディアン指導者を集めたフィラデルフィア会議は失敗に終わる(1792年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1794年 |
- | フォールン・ティンバーズ(倒木)の戦い。ブルー・ジャケットの指揮するインディアン北西諸部族連合が、アンソニィ・ウェイン将軍率いる合衆国群に敗れる(1794年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1795年 |
- | グリーンビル休戦条約によりマイアミ連合は崩壊。一方的な一方的なインディアンの土地の放棄に署名させられる(1795年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1798年 |
- | インディアン諸部族の大同団結を目指してショーニー族のテクムセは遊説をはじめる(1798年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) 第2代大統領ジョン・アダムスとチェロキー族とのテリコの条約。チェロキーは広大な土地を奪われたが、それでも広大な土地を永久保証される。が、1819年までにその1/3を失う(1798年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1802年 |
- | 第3代大統領トマス・ジェファソンによるジョージア契約。ジョージア州のインディアンの土地は不当な土地譲渡契約で奪われる(1802年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1809年 |
- | 白人との接触を避けるため、チェロキー酋長タロンテスキー率いる数百の家族がミシシッピ川の以西に移住(1809年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1811年 |
- | ティベカヌーの戦い。テクムセの弟の無謀な戦いでインディアンは敗走(1811年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1812年 |
- | イギリスとアメリカ軍の戦い(1812年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1813年 |
- | イギリス側で参戦したテクムセはイギリスに見捨てられ、テイムズ川の戦いで死す(1813年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1816年 |
- | 第1次セミノール戦争開始(1816年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1817年 |
- | 後に第7代大統領になるアンドリウ・ジャクソンのチェロキーの土地買収政策(1817年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1818年 |
- | ジャクソンは当時のスペイン領フロリダ半島のセミノール族討伐に向かう(1818年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1819年 |
- | アメリカ合衆国はスペイン政府より500ドルでフロリダ半島を買収(1819年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1821年 |
- | チェロキー族のセコイアがチェロキー語の文字表を発明。無文字社会に初めて文字が登場し、完全文盲から数年で文盲率ゼロを達成する(1821年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1822年 |
- | チェロキー・ネイションの司法機構確立(1822年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1824年 |
- | 合衆国陸軍省にインディアン局創設(1824年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1827年 |
- | 合衆国最高裁判所はチェロキー族の自治を否決(1827年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) チェロキー・ネイション憲法制定(1827年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1828年 |
- | エリアス・ブディノーによる英語・チェロキー語併載の週刊新聞「チェロキー・フェニクス」発刊。チェロキー・ネイション、初代大統領にジョン・ロス就任(1828年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1830年 |
- | 英軍の司令官アムハーストは天然痘菌をつけた毛布をインディアンに配布、世界初の細菌戦を実施。ポンティアクは暗殺され蜂起は失敗。ジャクソン大統領によって提案された一方的な「インディアン撤去法案」が議会で成立(1830年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1831年 |
- | インディアン撤去法によりチェクトウ族は強制移住させられる(1831年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1832年 |
- | ペインズ・ランディング条約。アメリカ政府とセミノール・インディアンの間で言語の壁を無視したいかさまの西方移住の約束が結ばれる(1832年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1835年 |
- | 第2次セミノール戦争勃発(1835年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1838年 |
- | チェロキー族の強制移住「涙の旅路(Trail of Tears)」(1838年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1842年 |
- | 第2次セミノール戦争終結。セミノール族の西方移住始まる。インディアンの強制移住はこれで一応終わり、いわゆる「西部劇」がここから始まる(1842年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1845年 |
- | 合衆国、テキサスを併合。2万5000人のインディアンを州政府の統治下に置く。アパッチとコマンチ族はゲリラ活動を展開(1845年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1848年 |
- | ゴールドラッシュ始まる(1848年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1849年 |
- | インディアン局が内務省の管轄下に移される(1849年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1851年 |
- | 合衆国と、スー、シャイアン、アラバホなどインディアン有力部族との間でララミー条約が締結され西武に一時的な平和が訪れる(1851年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1855年 |
- | 第3次セミノール戦争。降伏を拒んだセミノールの討伐隊がフロリダ半島南端に侵入(1855年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1860年 |
- | ブラックフォート族もララミー条約に調印(1860年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) 乱獲によるバッファローの激減(→1875)(1860年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1861年 |
- | 南北戦争(→1865)(1861年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1862年 文久2年 |
- | ミネソタのリトル・クロー率いるサンティ・スー族の反乱(1862年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) 南西部でアパッチ族のゲリラ活動頻発(→1886)(1862年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1864年 文久4年 |
- | サンド・クリークでシャイアン族虐殺される(1864年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1868年 慶応4年 |
- | ララミー条約。スー族の統括権を一部認める(1868年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1876年 明治9年 |
- | リトル・ビックホーンの戦い。シッティング・ブル、クレイジー・ホース率いるスー・シャイアン連合軍がカスター将軍率いる第7騎兵隊を殲滅する(1876年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1881年 明治14年 |
- | ヘレン・ハント・ジャクソン「恥ずべき1世紀」出版される。政府の政策批判(1881年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1882年 明治15年 |
- | インディアン人権協会設立(1882年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1886年 明治19年 |
- | アパッチ族酋長ジェロニモ、クルック将軍率いる合衆国群に降伏(1886年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1887年 明治20年 |
- | ドーズ法(インディアン一般土地割当法)制定。インディアン個人を対象に、保留地の土地を分配して白人に開放(1887年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1890年 明治23年 |
12月 | テトン・スー族族長、シッティング・ブル、スタンディング・ロックに死す(1890年12月15日)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) スー族に対するウーンデッド・ニー・クリークの大虐殺(1890年12月29日)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1898年 明治31年 |
- | プエルトリコ、キューバをめぐる米西戦争勃発。スペインが敗北する(1898年)出展:「インディアスの迷宮 1492-1992」(勁草書房) |
1910年 明治43年 |
- | メキシコ革命勃発(1910年)出展:「インディアスの迷宮 1492-1992」(勁草書房) |
1911年 明治44年 |
- | アメリカ・インディアン協会設立(1911年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1917年 大正6年 |
- | メキシコ革命終結。ケレタノ憲法発布によりカトリック教会の特権剥奪、政教分離路線を打ち出す(1917年)出展:「インディアスの迷宮 1492-1992」(勁草書房) |
1924年 大正13年 |
- | インディアン市民憲法制定。インディアンに市民権付与(1924年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1928年 昭和3年 |
- | メリウム報告書が刊行され、保留地のインディアンの悲惨な状況が明らかにされる(1928年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1934年 昭和9年 |
- | インディアン再組織法成立。保留地の細分化を禁止。土地は政府へ(1934年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) ラミーロ・デ・マエスティが「イスパニダーの防衛」を出版する(1934年)出展:「インディアスの迷宮 1492-1992」(勁草書房) |
1936年 昭和11年 |
- | ラミーロ・デ・マエスティ、マドリードの監獄で共和派に処刑される(1936年)出展:「インディアスの迷宮 1492-1992」(勁草書房) |
1944年 昭和19年 |
- | 全国アメリカ・インディアン会議設立(1944年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1953年 昭和28年 |
- | 最初のターミネーション(連邦管理終結)政策。部族の自治権を奪う、事実上の強制同化政策であり、これを期にインディアン政策がどうか主義の方向へと回帰し始める(1953年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1960年 昭和35年 |
- | ケネディは大統領選でインディアンに対する約束の実行を確約するが、のちに公約は無視された(1960年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1961年 昭和36年 |
- | シカゴ大学でアメリカ・インディアン会議開催。インディアン文化の尊重を主張(1961年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1968年 昭和43年 |
- | チペワ族のデニス・バンクス、ジョン・ミッチェルによるアメリカ・インディアン運動開始(1968年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1969年 昭和44年 |
- | イロコワ連邦のインディアンはカナダ政府とニューヨークの国際連合に宛てて独立宣言書を送る(1969年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1970年 昭和45年 |
- | インディアン活動家たち、各地のインディアン局で座り込みを実施(1970年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1972年 昭和47年 |
- | 活動家たち、ワシントンのインディアン局ビルを占拠(1972年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1973年 昭和48年 |
- | サウス・ダコタ州、ウーンデッド・ニーの占拠(1973年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1978年 昭和53年 |
- | カリフォルニアからワシントンまで、「最も長い行進(The longest walk)」を敢行(1978年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1982年 昭和57年 |
- | 最高裁判所、ニュー・メキシコのアパッチ族に保留地内の大手石油会社に対する徴税の権利を認める(1982年)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
1983年 昭和58年 |
01月 | レーガン大統領が議会にターミネーション政策の廃止を要求(1983年01月)出展:「10+1(Ten Plus One )No.15」(INAX出版)巻頭年表「アメリカ・インディアン悲史」(松田行正) |
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