低体温療法の効果と限界 脳の損傷に有効例、合併症の危険性も

(2000年11月24日)

011122000年11月24日朝刊オピニオン101102052文字くも膜下出血や交通事故など、脳が重大な損傷を受けた時の治療法として、低体温療法が近年注目を集めている。一九九七年に成立した臓器移植法を巡る議論で、「脳死を防ぐかも知れない」と、この療法が広く知られるようになり「奇跡の治療法」とさえ言われた。しかしどんな症例に効くのか、かえって害になるのではなど、治療法の実態がまだよく分かっていないのが実情だ。今秋の日本救急医学会などで研究報告が相次ぎ、低体温療法の救命効果と限界がようやく見え始めたところだ。さらなる検証が求められる。(科学部・中村通子)
四年前の暮れ、酒に酔った三十歳代の男性が駅のホームで電車と接触し、頭に大けがを負った。大阪府内の病院に運ばれた時には意識がなく、助けるのが難しい状態だったが、低体温療法で、半年後には元気に仕事ができるほど回復した。
低体温療法は、この男性のように従来の方法では救えなかった重い脳損傷患者を救う新しい治療法だ。内部を水が流れる特殊な毛布などを使って、五日-一週間、体温を三四度前後まで下げて、脳のはれを抑え脳神経を守る。
ここ十年で日本や米国を中心に臨床応用が一気に進んだ。しかし、どんな病状の患者に効くのか十分には分かっていない。肺炎などの合併症の危険もあるのに「効く」というイメージが先行したため、現場では混乱も起きている。
救命救急センターに運ばれた患者の家族が、低体温療法を要求することがままある。ある救急医は「効くかどうか分からないけど、効かない、と説得する根拠もない」と打ち明ける。
●適用条件で合意
十一月上旬、東京で開かれた日本救急医学会では、頭の大けがや、くも膜下出血などの主な脳損傷について、最新の研究成果が報告された。
頭に大けがをして脳がはれ、脳圧が上がると、最終的には死亡する。低体温療法導入以前は、脳圧が二十五ミリ水銀柱以上になるとまず救えない、というのが常識だった。しかし、大阪大学病院救命救急センターの塩崎忠彦医師によると、同病院が九〇年に低体温療法を導入して以来、脳圧が二十五ミリ水銀柱を超えていた七十二人中十二人が、身の回りのことができるまで回復した。
しかし、二十五ミリ水銀柱未満の場合は、九八年から関西、関東の救命救急センター計十一施設で、低体温療法患者(四十五人)と、そうでない患者(四十六人)を比べたところ、回復する割合は変わらなかった。かえって低体温療法群では肺炎などが起きやすくなることが分かった。
この報告を受け、学会は「脳圧二十五ミリ水銀柱以下なら低体温はすべきではない」と合意した。
●多大な研究経費
重症のくも膜下出血については、意見が大きく割れた。
千葉県救急医療センターと日本医大はそれぞれ五人、十八人の症例を挙げ、低体温療法の手術補助としての有効性は認めつつも、治療効果には疑問を投げかけた。しかし大阪府三島救命救急センターは「できるだけ早く冷やし始めることで、十六人中、十五人が救命でき、二人は社会復帰した」と報告した。
果たして、くも膜下出血に低体温療法は効くのか。検証するには重症度などの条件が同じ患者を、低体温療法をした群、しない群に分けて比較しなくてはならない。
しかし、一つの病院では患者数に限りがある。数が少ないと統計的な検討ができないし、何年もかけて症例を集めていると、その間に薬の進歩など治療条件が変わってしまう。
複数の施設が協力して症例を集める必要があるが、共通の基準作りや統括センターの設置、人件費などの負担がかかる。
日本大学の片山容一教授(脳神経外科学)は「多施設の比較対照研究は、経費も人手もかかる。救急医の熱意だけでは、とうていできない。研究資金の援助など、国の支えが必要だ」と強調する。
●検証体制作りを
日本ではこれまでに十人が法的脳死判定を受け、九人が臓器を提供。移植医療が定着し始めたところだ。しかし「臓器摘出は救命のためのあらゆる医療を施した後に行う」とする国会の付帯決議がある。だからこそ、脳死にしないための、低体温療法をはじめとする救急治療の重要性が増している。
大阪大の杉本寿教授(救急医学)は「低体温療法はいろいろな合併症も起こします。効果だけを期待して使うのは患者のためとはいえません」と話す。
この療法を真に有効なものとするには、その効果と限界を確かめる検証システム作りを急ぐ必要がある。
<低体温療法> 1962年3月、気温マイナス10度のある日、ノルウェーで5歳の男の子が、川に落ちた。20分後、救出された時には体は冷え切り、心臓が止まっていた。心肺蘇生(そせい)法をしたら2時間半後に心臓が再び動き出した。半年後にはほぼ正常に戻った。この事故をきっかけに、低体温による、脳の保護効果が注目され始めた。医療技術の問題で一時すたれたが、近年見直されている。動物実験で、神経細胞を守ることは確認されているが、低体温下の体調管理や体温の戻し方が難しく、肺炎や血が固まりにくくなるなどの副作用もある。

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