雑誌「キャバレ・ヴォルテール」が刊行される

(1916年06月)

「ナショナリズム敵解釈を避けるために、本誌の編者はこの雑誌が「ドイツ精神」とは無関係である事を宣言する」。
ヴォルテールという18世紀フランス啓蒙主義哲学者で、風刺小説「カンディード(1759年)の著者である人物の名前を選んだ事ことは、スイスのドイツ語圏では深い意味があり、キャバレが実現しようとした文化横断的結合を暗示していた。彼には協力者ーアポリネール、カンディンスキー、マリネッティがいたーの名前を国ごとにあげて、企画の他言語的正確を強調した。最初からダダ達は他の亡命者グループよりも公然と、もっと批判的なやりかたで、自分の出身国の戦争行為に対する精神的距離感を表明していた。国家や民族の代表となることを拒絶して、彼らは自己流の国際主義者となり、戦争の焼け跡から同時代のアヴァンギャルド芸術のキラリと光る成果を見つけ出そうとしたのだ。スイス人の自己満足的な態度への攻撃と重なって(ダダの協力者のリストにはスイス人の名前は見当たらない)。こうした態度はチューリヒでのダダの位置を、礼儀正しい客人というより反抗的な下宿人にしたといってよい。

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