ニューヨークにて「インフォメーション」展

(1970年07月)

1970年7月ニューヨーク近代美術館は「インフォメーション」展を開いた。モダニズムの要塞が概念芸術をしぶしぶ認知したかたちだが、70名のアーティストが出展した、いつもどおり、スタンリー・ブラウンはきわめて微妙な参加形態をとった。1枚の索引カードに本人の住所が書かれていた(「このプロジェクトは何百万というほかのプロジェクトの潜在的な担い手なのだ。その担い手たちから自分に電話や手紙がくるかもしれない。あるいはそうしようと考えるかもしれない。あるいは私の住所をメモして何かを送ってくるかもしれない」と感じていたという)ラファエル・フェレは庭に8トンの氷を置き、開幕日にそれを撮影した3枚の写真がギャラリーに展示された。ブラジルのシルド・メイレレスはコカ・コーラの瓶2本と1ドル札2枚を展示した(共産主義諸国とラテン・アメリカのアーティストが顔を連ねたコンセプチュアル展は非常に少ないが、これはその一つだった)ウォルター・デ・マリアは自作を特集した雑誌「タイム」の拡大頁を壁に貼った。「インフォメーション」展はコンセプチュアルの仕事を去勢したと憂慮する批評家もいた。たんに「情報」としか見えず、展示している当の機関に対する挑戦や脅威にまったくならなかったと。12週間の会期中に訪れた299057名の来館者のほとんどにとってそれは、意識の覚醒を促す体験というよりは、訳が分からなかったとはいえ、娯楽だったのではないだろうか。ハンス・ハーケは入り口に設置した作品で来館者に投票を要請したが、来館者のほぼ12・4%が投票した。当時はネルソン・ロックフェラーがニューヨーク州知事選挙で再選を目指しており、彼はニューヨーク近代美術館の評議員だった。投票では、彼はヴェトナム戦争支持の立場だが、知事選ではそれを理由に彼に投票しないかするか、その回答が要請された。投票した人のほとんどは、知事選ではノーだと答えた。キュレーションは「プライマリー・ストラクチャーズ」展(1966年、ジューイッシュ美術館)の企画者でもあるキーナストン・マクシャイ。

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