刀剣年表
主に持ち主の変遷。鶴丸国永、一期一振、へし切長谷部、燭台切光忠、三日月宗近、鶯丸、骨喰藤四郎、鯰尾藤四郎。考証は全体的にざっくり、独自の解釈も含みます。クオリティ低いですが、この程度の内容でよければ追加してほしい刀剣などコメントでお寄せいただければ~!
0970年 |
- | 平維茂の紅葉伝説(0970年)鶴丸の持ち主だったという説のある平維茂の有名な逸話。 |
0987年 |
- | 三日月宗近、誕生(0987年)正確な年代がわからないので、刀工・宗近が三条小鍛冶を名乗ったとされる年をあてました。持ち主は??? |
1000年 |
- | 鶯丸、誕生(1000年)正確な年代は分からないので、刀工・友成の活躍年代からざっくり推定。 |
1053年 |
- | 鶴丸国永、誕生(1053年)はっきりとは分からないけれど、鶴丸をうったとされる国永が活躍した天喜年間(1053~1058)より。これ以… |
1193年 |
- | 骨喰藤四郎、源氏から大友氏へ(1193年)源頼朝がお気に入りだった大友氏初代・大友能直へ与えたとされる。年代に関しては正確なものがわからなか… |
1200年 |
- | 骨喰藤四郎、誕生(1200年)粟田口吉光の活躍年代からざっくり推定、正確にはわかりません。1180~1200年にかけての間に源頼朝から大… 鯰尾藤四郎、誕生(1200年)粟田口吉光が活躍したとみられる鎌倉中期から適当に推定。もう少し早い時期のような気もする。この頃は小… 一期一振、誕生(1200年)はっきりとした年代はわからないものの、粟田口吉光の活躍した鎌倉中期からざっくり推定。もう少し早い時… |
1250年 |
- | 燭台切光忠、誕生(1250年)正確な年代は記録が残っていないため、刀工・長船光忠が活躍した時代よりざっくり推定。 |
1285年 |
- | 鶴丸国永、安達氏から北条氏へ(霜月騒動)(1285年)鶴丸を所持していた安達氏が滅び、鶴丸は北条貞時の手に。一説には北条貞時は鶴丸欲しさに安達貞泰の墓を… |
1334年 |
- | へし切長谷部、誕生(1334年)刀工・長谷部国重が活躍したとされる建武期(1334~1336)よりざっくり推定。どうやら大太刀(三尺近く)… |
1336年 |
- | 骨喰藤四郎、大友家から足利家へ(1336年)正確な年代が分からないのでざっくり推定。大友氏の6代目から足利尊氏に、忠誠の証として献上された。この… |
1439年 |
- | 鶯丸、足利家から小笠原家へ(1439年)結城合戦で功のあった小笠原政康が、足利義教より褒賞として拝領したとする書状が鶯丸につけられていた。… |
1500年 |
- | 骨喰藤四郎、太刀に(1500年)1488年頃までは薙刀であったことが判明しているが、その後戦国期に太刀へと磨りあげられた。正確な年代は… |
1527年 |
- | 三日月宗近、日野権大納言内光から足利家へ(1527年)持ち主であった日野権大納言内光が桂川原の戦いにおいて戦死。その際に用いたのが三日月宗近?日野権大納… |
1565年 |
- | 三日月宗近、足利家から三好家へ(1565年)足利13代・義輝の没後、三好氏へ。三好氏は源氏の流れを汲む一族。この足利義輝には有名な逸話が・・・永… 骨喰藤四郎、足利家から松永家へ(1565年)永禄の変の際、足利義輝を襲った松永久秀の元へ。この時、足利家(義輝)のもとには三日月宗近と骨喰があ… 永禄の変(1565年) |
1570年 |
- | 三日月宗近、三好家から豊臣家へ(1570年)史料が無く、正確な年代がさっぱりわからないので、勝手に推定。義輝を襲った三好三人衆のひとりであった… 骨喰藤四郎、松永家から大友家へ(1570年)大友氏6代・宗麟の要請により、里帰り。正確な年代がわからないので、宗麟が活躍した頃からざっくり推定。 鶴丸国永、織田信長から御牧景則へ(1570年)いつの間にか織田家にいた鶴丸。御牧景則は明智光秀の家臣、もしかして直臣でもないやつに下げ渡されたの… |
1571年 |
- | 比叡山焼討ち(1571年) |
1573年 |
- | 一期一振、越前朝倉家から毛利家へ(1573年)越前朝倉氏が織田信長との対立により勢力を失うと、一期一振は毛利氏の手へ渡った。 |
1575年 |
- | へし切長谷部、織田家から黒田家へ(1575年)直臣でもない奴に下げ渡された |
1576年 |
- | へし切長谷部、黒田長政とともに信長のもとへ(1576年)長政さまは人質として織田信長のもとで過ごしたことがある。気になったので項目として追加しましたが、本… |
1580年 |
- | 燭台切光忠、織田家から豊臣家へ(1580年)もとは織田信長が所持していたものが、のちに秀吉に伝わったとされる。正確な年代は不明なので、信長の活… |
1582年 |
- | 本能寺の変(1582年) |
1584年 |
- | 鯰尾藤四郎、織田家から豊臣家へ(1584年)織田信長の次男・信雄が所有していた。信雄は小牧・長久手の戦いの際、密通容疑のあった三家老を土方勝久… |
1588年 |
- | 骨喰藤四郎、大友家から豊臣家へ(1588年)大友義統(大友宗麟の子)から秀吉の要望を受け、献上された。この時、脇差になった模様。 |
1590年 |
- | 一期一振、毛利家から豊臣秀吉へ(1590年)豊臣秀吉が毛利邸へ来た時、しつこく欲しがったので毛利輝元が仕方なく渡したらしい。 |
1596年 |
- | 燭台切光忠、豊臣家から伊達家へ(1596年)秀吉が伏見城再建を行っている頃、伊達政宗に与えたとされる。秀吉から光忠を賜った翌日、さっそく伊達政… |
1600年 |
- | 鶴丸国永、行方不明に(関ヶ原の戦い)(1600年)関ヶ原で御牧景則が負けて以降、しばらく行方がわからなくなる。 |
1615年 |
- | 大阪夏の陣(1615年)豊臣家滅亡。ここで焼けたのが、一期一振・鯰尾藤四郎。骨喰藤四郎は無傷で発見され、徳川家康へ献上され… 鯰尾藤四郎、燃える(1615年)大阪夏の陣で、大阪城落城の際に焼身となる。豊臣秀吉に伝わって以降は、豊臣秀頼に渡り、愛刀として使わ… 一期一振、燃える(1615年)大阪夏の陣。この時、豊臣家も滅亡。とうらぶ的にはここで焼けているのだが、明暦の大火で焼けたとする説… |
1616年 |
- | 鯰尾藤四郎、再刃される(1616年)徳川家康が命じ、初代・越前康継により再刃される。一期一振よりはやい時期に再刃されている模様。大阪夏… |
1623年 |
- | 燭台切光忠、伊達家から徳川家へ(1623年)水戸徳川家へ。この頃には燭台切と命名されている。譲り受けたのは秀忠と家光のどちらの説もある。嫁入ら… |
1624年 |
- | 三日月宗近、豊臣家から徳川家へ(1624年)高台院の死後、遺品として徳川秀忠に渡る。 |
1650年 |
- | 一期一振、再刃される(1650年)2代目あるいは3代目の越前康継によって再刃。詳細な年代が分からなかったのでざっくり推定。持ち主は豊臣… |
1657年 |
- | 骨喰藤四郎、燃える(1657年)明暦の大火で焼身となる。 |
1684年 |
- | 鶴丸国永、伏見の藤森神社で発見(1684年)貞享年間(1684~87)、いつの間にか神社のご神刀になっていた鶴丸が発見される。そして発見者である本阿… |
1688年 |
- | 鶴丸国永、伊達家へ(1688年)元禄年間(1688~1704)以降に伊達家へ譲られた。残念ながら独眼竜で有名な伊達正宗は没後であり、光忠も… |
1736年 |
- | 鶯丸、小笠原家から対馬家へ(1736年)厳密には、この年に将軍・吉宗の命を受けた小笠原家から台覧に出されたというだけで、対馬家へ渡る出来事… |
1863年 文久3年 |
- | 一期一振、皇室御物に(1863年)尾張徳川家に伝わっていたが、孝明天皇に献上される。以後、現代にいたるまで皇室御物として保管されてい… |
1868年 慶応4年 |
- | 骨喰藤四郎、徳川家から京都豊国神社へ(1868年)焼身になって以降、一期一振・鯰尾藤四郎よりも後の時代に再刃され、紀伊徳川家に伝わっていた。豊臣家滅… |
1900年 明治33年 |
- | 鶯丸、対馬家から山本達雄へ(1900年)年代は「明治に入って」としか記録がないので、山本達雄氏の活躍した年代からざっくり推定。対馬家に代々… |
1901年 明治34年 |
- | 鶴丸国永、皇室御物に(1901年)伊達家より明治天皇へ献上。以後、現在に至るまで皇室御物として保管されている。 |
1907年 明治40年 |
- | 鶯丸、皇室御物に(1907年)山本氏に渡って以降、田中光顕伯爵の所有となっていた鶯丸が天皇に献上され、現在に至るまで皇室御物とし… |
1923年 大正12年 |
- | 燭台切光忠、燃える(1923年)関東大震災により焼身となり、その後行方不明に。焼失扱いされ、現存されないものとして扱われていたが、… |
1925年 大正14年 |
- | 骨喰藤四郎、国宝指定(1925年)所有が正式に国有から神社へ移ったのもこの年。4月24日に国宝指定。 |
1933年 昭和8年 |
- | 三日月宗近、国宝指定(1933年)旧国宝指定、とのこと。ちなみに三日月宗近と呼ばれた太刀が複数存在するのでは?という説も。現存するも… |
1945年 昭和20年 |
- | 三日月宗近、徳川家から東京国立博物館へ(1945年)太平洋戦争終了までは徳川家が所持、とのこと。それ以降、現在に至るまで東京国立博物館で保存されている。 |
1953年 昭和28年 |
- | へし切長谷部、国宝指定(1953年)3月31日のこと。織田信長より黒田家に渡って以降、ずっと大事にされ、今も居城のあった福岡(福岡市博物館… |
2015年 平成27年 |
- | 燭台切光忠、発見される(2015年)関東大震災で焼失したとされていた燭台切光忠が発見される。現在は徳川美術館所蔵。 |
2205年 平成217年 |
- | みんな付喪神に!(2205年)刀剣乱舞、はじまります。 |
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