【ロナルド・レーガン】レーガン政権発足。
(1981年01月20日)副大統領は、ジョージ・H・W・ブッシュ。
任期は、1989年1月20日まで。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ロナルド・レーガン
1970年代は、
原理主義者による政治介入がみられる時期である。
1960年代から1970年代前半に
危機意識を持った原理主義者は、
保守化した共和党に接近した。
1978年、
ジミー・カーター大統領は
宗教系私立学校が人種差別を行っていることに対し、
非課税措置に制限を加えようとしたが、
キリスト教系私立学校が一斉に反発、
南部パブテスト派を中心に反対運動がおこり、
1980年には福音派、
特に宗教右派の票が共和党候補へと移ったという。
また、主流派とカトリック教会は最も影響を受け、
政治や社会問題に対して
聖職者と教会員との間に対立が生じ衰退した。
一方で福音派は
教会員数が増加したという。
主流派と福音派の聖職者と教会員数の推移は、
海外伝道師の推移からも求められるという。
宗教右派と共和党への接近は、
マシュー・C・モエンによると、
ロナルド・レーガン大統領、
ニュー・ライト[† 14]の上院議員、
若手共和党保守派下院議員、
テレビ伝道師の存在を挙げている。
ロナルド・レーガン大統領候補は、
1980年大統領選挙で
伝統的価値をテーマに
宗教右派を政治の主流とし、
宗教右派の信任を得、
政治的に利用していた。
1980年8月、
ダラス訪問「国内政局説明会」では、
福音派の支持を得るために、
福音派の「進化論、人工中絶、
州政府の宗教問題への介入をめぐる
彼らの意見に賛同した」という。
1984年大統領選挙では、
レーガン大統領は
宗教右派の働きかけで、
保守的なキリスト教徒を集めた集会に出席し
地方を遊説した。
ニュー・ライトの上院議員のジョン・イースト上院議員は、
1981年に人工中絶反対に関する公聴会を司法委員会で開催し、
宗教右派の政策課題を立法化しようとした。
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