坂本龍馬と江戸 地図の歴史の比較

年代 坂本龍馬 江戸 地図の歴史
1632年
1657年

新添江戸之図

(1657年)

1679年
1683年

江戸大絵図

(1683年)

関西の大手版元、林吉永の江戸図。

1687年
1689年

江戸図鑑綱目

(1689年)

1715年
1755年

吉文字屋板が地図の刊行を始める

(1755年)

吉文字屋は、1755(宝暦5)年から1775(安永4)年までの間に8枚…

1767年
1816年
1819年

分間懐宝御江戸絵図

(1819年)

須原屋茂兵衛板 文政2年 (1819)

1836年

坂本龍馬生まれる

(1836年01月03日)

1846年

母・幸が死去

(1846年)

近吾堂板(近江屋板)が地図の刊行を始める

(1846年)

近江屋があったのは四ツ谷御門(現在の新四谷見附橋)のすぐ近…

1848年

小栗流和兵法を学ぶ

(1848年)

12歳の時、小高坂の楠山塾で学ぶが退塾。14歳で高知城下の日根…

1849年

尾張屋板(金鱗堂板)が地図の刊行を始める

(1849年)

江戸切絵図の中でもっとも有名なのが尾張屋板です。1849(嘉永2…

1850年
1851年
1852年

平野屋板が地図の刊行を始める

(1852年)

現代の地図に近い発想で作られた切絵図で、縮尺・方位は一定、…

1853年

剣術修行のため江戸へ

(1853年)

剣術修行のため江戸(東京都)に出て、北辰一刀流剣術開祖千葉…

1854年

土佐煮帰郷

(1854年)

土佐に帰郷。画家の川田小龍から西洋事情を学ぶ。

1855年
1856年

再び江戸へ

(1856年)

再び江戸・小千葉道場に遊学。

1857年

山本琢磨を逃がす

(1857年)

盗みを働き切腹沙汰となった仲間の山本琢磨を逃がす。

1858年

北辰一刀流免許皆伝

(1858年)

剣術修行を終えて帰国。北辰一刀流免許皆伝。

1861年

土佐勤王党結成

(1861年)

3月、土佐で井口村刃傷事件が起り、龍馬の属する下士と上士の間…

萬宝御江戸絵図

(1861年)

小原竹堂刪補 馬場岩吉(亀鶴堂)板 万延2年( 1861)

1862年
文久2年

脱藩

(1862年03月)

3月に沢村惣之丞とともに脱藩した。その直後に勤王党による吉田…

1863年
文久3年

神戸海軍塾の塾頭をつとめる

(1863年)

勝が進める神戸海軍操練所の設立に尽力し、操練所よりも先に開…

1864年
文久4年

神戸海軍操練所創設

(1864年)

神戸海軍操練所が創設された。龍馬はこの頃、弾圧が激しさを増…

1865年
元治2年

薩長同盟への運動を開始

(1865年)

京の薩摩藩邸に移った龍馬の元に中岡慎太郎らが訪問。この頃か…

1866年
慶応2年

薩長同盟が結ばれる

(1866年01月)

坂本龍馬の斡旋により、京都で長州の桂小五郎(木戸孝允)と薩…

1867年
慶応3年

海援隊創設

(1867年)

土佐藩との関係を修復して海援隊を創設した。4月、いろは丸沈没…

暗殺される

(1867年12月10日)

京都の旅寓・近江屋(京都市中京区)で何者かに中岡慎太郎と共…