坂本龍馬と勝海舟と西郷隆盛の比較

年代 坂本龍馬 勝海舟 西郷隆盛
1823年

江戸本所亀沢町で生まれる

(1823年)

文政6年(1823年)、江戸本所亀沢町の生まれ。父・小吉の実家で…

1828年
1836年

坂本龍馬生まれる

(1836年01月03日)

1838年

家督相続

(1838年07月27日)

家督相続し、小普請組に入り、40俵扶持。

1839年

右腕内側を切られる

(1839年)

郷中仲間と月例のお宮参りに行った際、他の郷中と友人とが喧嘩…

1841年
1844年

郡奉行迫田利済配下となる

(1844年)

郡方書役助をつとめ、御小姓与(一番組小与八番)に編入された。

1846年

母・幸が死去

(1846年)

1847年
1848年

小栗流和兵法を学ぶ

(1848年)

12歳の時、小高坂の楠山塾で学ぶが退塾。14歳で高知城下の日根…

1852年

結婚

(1852年)

父母の勧めで伊集院兼寛の姉須賀(敏(敏子)であったとも云わ…

1853年

剣術修行のため江戸へ

(1853年)

剣術修行のため江戸(東京都)に出て、北辰一刀流剣術開祖千葉…

家督相続を許可された

(1853年02月)

督相続を許可されたが、役は郡方書役助と変わらず、禄は減少し…

ペリーが浦賀に来航

(1853年12月)

攘夷問題が起き始めた。

1854年

土佐煮帰郷

(1854年)

土佐に帰郷。画家の川田小龍から西洋事情を学ぶ。

江戸詰に任ぜられる

(1854年)

上書が認められ、斉彬の江戸参勤に際し、中御小姓・定御供・江…

庭方役となる

(1854年04月)

庭方役となり、当代一の開明派大名であった斉彬から直接教えを…

妻が実家に引き取られる

(1854年11月)

貧窮の苦労を見かねた妻の実家、伊集院家が西郷家から須賀を引…

1855年

海軍伝習重立取扱と就る

(1855年07月29日)

西郷家の家督を継ぐ

(1855年)

善兵衛から吉兵衛へ改める(8代目吉兵衛)。

1856年

再び江戸へ

(1856年)

再び江戸・小千葉道場に遊学。

講武所砲術師範役と就る

(1856年03月11日)

1857年

山本琢磨を逃がす

(1857年)

盗みを働き切腹沙汰となった仲間の山本琢磨を逃がす。

藍玉購入の斡旋

(1857年11月)

藍玉の高値に困っていた下関の白石正一郎に薩摩の藍玉購入の斡…

密書を越前藩主松平慶永に持って行く

(1857年12月)

江戸に着き、将軍継嗣に関する斉彬の密書を越前藩主松平慶永に…

1858年

北辰一刀流免許皆伝

(1858年)

剣術修行を終えて帰国。北辰一刀流免許皆伝。

殉死しようとする

(1858年07月27日)

京都で斉彬の訃報を聞き、殉死しようとしたが、月照らに説得さ…

1859年
1860年

品川より咸臨丸出航。

(1860年01月13日)

サンフランシスコに入航。

(1860年02月26日)

閏3月8日、サンフランシスコを出航。改元して万延元年5月6日、…

江戸に帰府。

(1860年05月07日)

石高400石

(1860年06月24日)

天守番頭過人・蕃書調所頭取助と就る。石高400石取りとなる。

1861年

土佐勤王党結成

(1861年)

3月、土佐で井口村刃傷事件が起り、龍馬の属する下士と上士の間…

1862年
文久2年

脱藩

(1862年03月)

3月に沢村惣之丞とともに脱藩した。その直後に勤王党による吉田…

二の丸留守居格軍艦操練所頭取に異動。

(1862年07月04日)

閏8月17日、軍艦奉行並に異動。役高1000石。

1863年
文久3年

神戸海軍塾の塾頭をつとめる

(1863年)

勝が進める神戸海軍操練所の設立に尽力し、操練所よりも先に開…

1864年
文久4年

神戸海軍操練所創設

(1864年)

神戸海軍操練所が創設された。龍馬はこの頃、弾圧が激しさを増…

神戸操練所運営を委任される

(1864年02月05日)

2月5日、摂海警衛及び神戸操練所運営を委任される。改元して元…

1865年
元治2年

薩長同盟への運動を開始

(1865年)

京の薩摩藩邸に移った龍馬の元に中岡慎太郎らが訪問。この頃か…

1866年
慶応2年

薩長同盟が結ばれる

(1866年01月)

坂本龍馬の斡旋により、京都で長州の桂小五郎(木戸孝允)と薩…

1867年
慶応3年

海援隊創設

(1867年)

土佐藩との関係を修復して海援隊を創設した。4月、いろは丸沈没…

暗殺される

(1867年12月10日)

京都の旅寓・近江屋(京都市中京区)で何者かに中岡慎太郎と共…

海軍伝習掛を兼帯

(1867年03月05日)

1868年
慶応4年

海軍奉行並に異動

(1868年01月17日)

役高5000石。列座は陸軍奉行並の上。

陸軍総裁に異動

(1868年01月23日)

列座は若年寄の次座。

西郷隆盛と会見

(1868年03月13日)

3月13日と同月14日、薩摩藩江戸藩邸にて西郷隆盛と会見。同日、…

1869年
明治2年

諱を安芳と改める

(1869年07月13日)

7月18日、維新政府の外務大丞に任官。8月13日、外務大丞を免ず。

兵部大丞に任官

(1869年11月23日)

1870年
明治3年

兵部大丞を免ず

(1870年06月12日)

1872年
明治5年

海軍大輔に任官

(1872年05月10日)

6月15日、従四位に昇叙し、海軍大輔如元。

1873年
明治6年

参議に転任し、海軍卿を兼任

(1873年10月25日)

翌年2月18日、正四位に昇叙し、参議・海軍卿如元。

1874年
明治7年
1875年
明治8年

元老院議官に異動

(1875年04月25日)

元老院議官を辞表を提出

(1875年04月27日)

元老院議官を免ず

(1875年11月28日)

1877年
明治10年

死去

(1877年09月24日)

城山決戦で被弾し、切腹した。

1887年
明治20年

伯爵を受爵

(1887年05月09日)

12月、従三位に昇叙。

1888年
明治21年

枢密顧問官に任官

(1888年04月30日)

10月、正三位に昇叙し、枢密顧問官如元。

1889年
明治22年

枢密顧問官辞表を提出するが、翌日却下

(1889年05月08日)

12月、勲一等瑞宝章を受ける。

1890年
明治23年
1894年
明治27年
1896年
明治29年

枢密顧問官辞表を提出する

(1896年10月27日)

枢密顧問官辞表を提出するが、11月4日、却下。

1898年
明治31年

旭日大綬章を受ける

(1898年02月26日)

1899年
明治32年

脳溢血により死去

(1899年01月21日)

明治32年(1899年)1月19日に脳溢血により意識不明となり、21日…