日本本土空襲と年表・アジア太平洋戦争終結の経緯の比較
年代 | 日本本土空襲 | 年表・アジア太平洋戦争終結の経緯 |
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1942年 昭和17年 |
ドーリットル空襲(1942年04月18日)東京府東京市 ドーリットル空襲(1942年04月18日)神奈川県川崎市 ドーリットル空襲(1942年04月18日)横須賀市 ドーリットル空襲(1942年04月18日)愛知県名古屋市 ドーリットル空襲(1942年04月18日)三重県四日市市 ドーリットル空襲(1942年04月18日)兵庫県神戸市 |
ミッドウェー海戦。日本4空母を失う(1942年06月05日)米軍、ガダルカナル島上陸(1942年08月07日)ニューギニア・バサブアの日本軍全滅(1942年12月08日)大本営、ガダルカナル島撤退を決定(1942年12月31日) |
1943年 昭和18年 |
ルーズベルト・チャーチル、カサブランカ宣言。枢軸国の無条件降伏を要求(1943年01月24日)日本軍、ガダルカナル島撤退開始(1943年02月01日)スターリングラードでドイツ軍敗北(1943年02月02日)連合艦隊司令長官山本五十六戦死(1943年04月18日)イタリア、無条件降伏(1943年09月08日)御前会議、絶対国防圏を定める「今後採るべき戦争指導の大綱」採択(1943年09月30日)「帝国戦争遂行上太平洋及印度洋方面ニ於テ絶対確保スヘキ要域… 米英ソ、モスクワ外相会議。30日まで(1943年10月19日)ルーズベルト・チャーチル・蔣介石、カイロ会談。26日まで(1943年11月22日)ルーズベルト・チャーチル・スターリン、テヘラン会談。12月1日まで。スターリン、ドイツ降伏後の対日参戦を約束(1943年11月28日)米中英、カイロ宣言発表。日本の無条件降伏、台湾返還、朝鮮独立など求める。(1943年12月01日)英語原文と日訳 "With these objects in view the three A… |
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1944年 昭和19年 |
八幡空襲(1944年06月15日)八幡 十・十空襲(那覇空襲)(1944年10月10日)沖縄県 大村大空襲(1944年10月25日)長崎県大村市 熊本初空襲(1944年11月21日)熊本 |
近衛文麿、女婿細川護貞と敗戦後の国体問題を話し合う(1944年03月03日)近衛「多少の瑕疵は止むを得ず」『細川日記』 細川護貞、昭和天皇の弟高松宮宣仁を訪問、終戦工作を話し合う(1944年03月13日)高松宮「最悪の事態については、今日から相当研究して置かねば… 連合軍、ノルマンディー上陸(1944年06月06日)米軍、マリアナ諸島のサイパン島に上陸(1944年06月15日)マリアナ沖海戦。日本海軍、空母と航空機の大半を失う(1944年06月19日)サイパン島守備隊3万人全滅(1944年07月07日)東条英機内閣総辞職(1944年07月18日)小磯国昭内閣成立(1944年07月22日)大本営政府連絡会議、最高戦争指導会議に改称(1944年08月05日)ダンバートン・オークス会議。10月7日まで(1944年08月21日)パリ解放(1944年08月26日)佐藤尚武駐ソ大使、特派使節のモスクワ派遣をソ連外相モロトフに提議、拒否される(1944年09月16日)団長に擬せられたのは、満洲事変時に駐ソ大使を務めた広田弘毅… ルーズベルト、訪米したチャーチルとニューヨーク州ハイドパークの私邸で秘密協定、日本への原爆投下に合意(1944年09月18日)米軍、フィリピン・レイテ島上陸(1944年10月20日)レイテ沖海戦、連合艦隊の主力失う(1944年10月24日)神風特攻隊、初めて米艦に突撃(1944年10月25日)スターリン、ソ連革命記念日に日本を批判(1944年11月07日)マリアナ基地のB29、東京初爆撃。本土空襲強まる(1944年11月24日)米国務長官、コーデル・ハルの健康問題からエドワード・ステティニアスが次官から昇格(1944年12月01日)ジョセフ・グルー、国務次官に就任。(1944年12月20日) |
1945年 昭和20年 |
京都空襲(1945年01月16日)東京大空襲(1945年01月27日)有楽町・銀座地区 本土初空襲(1945年02月15日)関東の軍需工場 東京大空襲(1945年03月10日)深川地区。城東地区。浅草地区や芝地区(現・港区)。 名古屋大空襲(1945年03月12日)名古屋市 大阪大空襲(1945年03月13日)北区扇町、西区阿波座、港区市岡元町、浪速区塩草 神戸大空襲(1945年03月17日)大分空襲(1945年03月18日)宇佐・大分・佐伯 鹿児島初空襲(1945年03月18日)桜島 京都空襲(1945年03月19日)名古屋大空襲(1945年03月19日)中区、中村区、東区 呉軍港空襲(1945年03月19日)呉 小倉大空襲(1945年03月27日)小倉 玉野空襲(1945年04月08日)玉野 城北大空襲(1945年04月13日)豊島・渋谷・向島・深川方面 京浜空襲(1945年04月15日)羽田・大森・荏原・蒲田方面。隣接している川崎市。 川崎空襲(1945年04月15日)川崎 京都空襲(1945年04月16日)鹿児島空襲(1945年04月21日)鹿児島市 徳山大空襲(1945年05月10日)徳山 神戸大空襲(1945年05月11日)京都空襲(1945年05月11日)京都御所 名古屋大空襲(1945年05月14日)名古屋城が焼失 東京大空襲(1945年05月24日)麹町・麻布・牛込・本郷方面 東京大空襲(1945年05月25日)中野・四谷・牛込・麹町・赤坂・世田谷方面 横浜大空襲(1945年05月29日)横浜 台北大空襲(1945年05月31日)台北市 尼崎空襲(1945年06月01日)大阪大空襲(1945年06月01日)大阪市西部 神戸大空襲(1945年06月05日)熱田空襲(1945年06月09日)熱田区 日立空襲(1945年06月10日)日立 千葉空襲(1945年06月10日)千葉 大阪大空襲(1945年06月15日)大阪市、尼崎市、堺市や布施市、豊中市、守口町 鹿児島大空襲(1945年06月17日)鹿児島 浜松空襲(1945年06月18日)浜松 四日市空襲(1945年06月18日)四日市 福岡大空襲(1945年06月19日)福岡 静岡大空襲(1945年06月19日)静岡 豊橋空襲(1945年06月19日)豊橋 静岡大空襲(1945年06月20日)静岡 豊橋空襲(1945年06月20日)豊橋 名古屋大空襲(1945年06月21日)名古屋 姫路空襲(1945年06月22日)姫路 水島空襲(1945年06月22日)倉敷市 各務原空襲(1945年06月22日)各務原:航空自衛隊岐阜基地 呉空襲(1945年06月22日)呉 呉大空襲(1945年06月22日)呉市 大阪大空襲(1945年06月26日)此花区 京都空襲(1945年06月26日)京都 岡山空襲(1945年06月28日)岡山 佐世保大空襲(1945年06月29日)佐世保 岡山空襲(1945年06月29日)岡山 熊本大空襲(1945年07月01日)熊本 呉市空襲(1945年07月01日)呉市 下関空襲(1945年07月02日)下関 姫路大空襲(1945年07月03日)姫路 高松空襲(1945年07月04日)高松市 徳島大空襲(1945年07月04日)徳島市 高知大空襲(1945年07月04日)高知市 千葉空襲(1945年07月06日)千葉 甲府空襲(1945年07月06日)甲府 清水大空襲(1945年07月07日)静岡市清水区 和歌山大空襲(1945年07月09日)和歌山 堺空襲(1945年07月09日)堺 岐阜空襲(1945年07月09日)岐阜 堺大空襲(1945年07月10日)堺市、住吉区、貝塚市 仙台空襲(1945年07月10日)仙台 宇都宮大空襲(1945年07月12日)宇都宮 敦賀空襲(1945年07月12日)敦賀 大阪大空襲(1945年07月24日)木津川、伊丹 京橋駅空襲(1945年08月14日)京橋駅 |
天皇、木戸内大臣に、フィリピン戦の結果如何により重臣等から意向を聴取する要否につき下問(1945年01月06日)米軍、ルソン島上陸(1945年01月09日)天皇、木戸内大臣に重臣の意見聴取を希望(1945年01月13日)ソ連軍、ワルシャワ占領(1945年01月17日)近衛文麿、天皇退位問題につき、重臣岡田啓介、米内光政海相、仁和寺門跡の岡本慈航と協議(1945年01月25日)仁和寺の側から「落飾(出家)した天皇を裕仁法皇と申し上げ、… 米軍、マニラ入城(1945年02月03日)ルーズベルト・チャーチル・スターリン、ヤルタ会談。11日まで(1945年02月04日)ヤルタ協定。ソ連の対日参戦秘密協定(1945年02月11日)ヤルタ協定日訳 1946年2月11日にモロトフ外相と米国駐ソ臨時大… ソ連軍、ハンガリー・ブダペスト占領(1945年02月13日)近衛、敗戦の必至と共産革命の脅威を天皇に上奏、天皇「もう一度戦果を挙げてからでないと、なかなか話はむずかしいと思う」(1945年02月14日)近衛上奏文全文、堀田善衛 『破滅型 近衛上奏文について』、伊… 米軍、硫黄島上陸(1945年02月19日)フィリピン・コレヒドール島の日本軍守備隊全滅(1945年02月27日)夜から10日にかけて、東京大空襲(1945年03月09日)硫黄島守備隊全滅(1945年03月17日)小磯首相、最高戦争指導会議懇談会で繆斌を通じて国民政府との和平交渉を提議。重光外相反対(1945年03月21日)米軍、慶良間列島に上陸(1945年03月26日)米軍、沖縄本島に上陸(1945年04月01日)小磯国昭内閣総辞職。ソ連、日ソ中立条約の不延長を通告(1945年04月05日)戦艦大和による水上特攻(菊水作戦)失敗。鈴木貫太郎内閣成立(1945年04月07日)外相東郷茂徳、陸相阿南惟幾、海相米内光政。 ルーズベルト大統領没。副大統領トルーマン昇格、原爆について知る(1945年04月12日)ソ連軍、ウィーン占領(1945年04月13日)鈴木首相、海外向け短波放送で、ルーズベルトの死に「深甚なる弔意」を表明(1945年04月14日)米紙朝刊、「弔意」を一斉に報道。吉田茂、和平工作の疑いで憲兵隊に逮捕、40日あまり監禁(1945年04月15日)米国亡命中のトーマス・マン、ドイツ国民向け放送で鈴木首相の「弔意」表明を「騎士道精神」として激賞(1945年04月19日)ソ連戦車隊、ベルリン市街に突入(1945年04月22日)サンフランシスコで国連創立総会が開始。米ソ両軍、エルベ河畔のドイツ・ザクセン州トルゴウで出会う(1945年04月25日)ムッソリーニ、パルチザンにより銃殺(1945年04月28日)ヒトラー自殺、後継総統にデーニッツ(1945年04月30日)ソ連軍、ベルリン占領(1945年05月02日)沖縄第三二軍、最後の総反撃中止、南部に後退(1945年05月05日)ドイツ軍、ランスで連合国に対し無条件降伏、8日にはベルリンでも(1945年05月07日)トルーマン、日本に対し無条件降伏を勧告。グルー国務次官、スティムソン陸軍長官からヤルタ秘密協定と原爆開発計画を知らされる(1945年05月08日)トルーマン「無条件降伏の要求は日本軍に対して行われ、決して… 政府、ドイツの降伏にもかかわらず日本の戦争遂行決意は不変と声明(1945年05月09日)最高戦争指導会議構成員会議、対ソ交渉方針を話し合う(1945年05月11日)構成員は、首相、外相、陸相、海相、参謀総長、軍令部総長の六… 最高戦争指導会議構成員会議(1945年05月12日)最高戦争指導会議構成員会議、(1)対日参戦阻止、(2)好意的中立の確保、(3)戦争終結への仲介依頼に方針決定(1945年05月14日)グルー、トルーマンに天皇制存続を条件に対日戦早期終結を進言(1945年05月28日)大本営、関東軍に対ソ作戦準備を命令(1945年05月30日)米軍、那覇占領(1945年05月31日)トルーマン、原爆政策に関するスティムソン暫定委員会による日本への原爆投下の勧告内容を、バーンズから知らされる(1945年06月01日)トルーマン「残念なことだが、自分の見る限り唯一の合理的結論… 広田弘毅、ヤコフ・マリク駐日ソ連大使に対ソ交渉打診(1945年06月03日)箱根強羅ホテル。4日にも 御前会議、本土決戦準備の「今後採るべき戦争指導の基本大綱」採択(1945年06月08日)「地の利人の和を以て飽く迄戦争を完遂し以て国体を護持し皇土… 木戸内大臣、「時局収拾対策試案」起草(1945年06月08日)「天皇陛下の御勇断を御願ひ申上げ、左の方針により戦局の拾収… 臨時帝国議会、12日まで。梅津美治郎参謀総長、朝鮮・満州・中国の視察結果を天皇に上奏(1945年06月09日)海軍戦力査閲使の長谷川清大将、視察結果を天皇に報告(1945年06月12日)秘密御前会議、天皇が戦争終結工作着手すべきとの意思表示、対ソ外交交渉を決定(1945年06月22日)天皇より、戦争の指導については去る八日の会議において決定し… 戦時緊急措置法公布。広範な委任立法(1945年06月22日)沖縄守備軍司令官・牛島満自決。組織抵抗終わるも、自決直前に局地抵抗の軍命令(1945年06月23日)軍命令「爾今各部隊は各局地における生存者中の上級者之を指揮… サンフランシスコで国連憲章採択(1945年06月25日)広田、東京のソ連大使館にマリクを訪問(1945年06月29日)スティムソン陸軍長官、トルーマンに天皇制存続の「対日計画案・覚書」と「共同声明案」を提出。米軍、沖縄作戦終了を宣言(1945年07月02日)「対日計画案・覚書」5項「連合国のこれらの諸目的が達成され、… バーンズ、ステティニアスに代わって国務長官に就任(1945年07月03日)最高戦争指導会議、ソ連に終戦斡旋依頼のため近衛の派遣決定(1945年07月10日)佐藤尚武駐ソ大使、近衛派遣をソ連側に申し入れ(1945年07月13日)米国、ニューメキシコで初の原爆実験に成功(1945年07月16日)トルーマン・チャーチル・スターリン、ポツダム会談開催、8月2日まで(1945年07月17日)チャーチルは5日の総選挙による政権交代のため、途中でアトリー… ソ連、日本側申入れ拒否(1945年07月18日)トルーマン、スティムソン草案から天皇制存続を削除した対日宣言案決断(1945年07月23日)ポツダム宣言案を英中両国へ回付。トルーマン、スターリンに原爆について話す(1945年07月24日)米陸軍参謀本部からグアムの司令官へ極秘命令「天候が許し次第、最初の特別爆弾を一つの標的に投下せよ」(1945年07月25日)「第20航空軍第509混成群団は、1945年8月3日ごろ以降、目視爆撃… 米中英、ポツダム宣言を発表(1945年07月26日)日訳全文 英語原文 「十、・・・日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ… 政府、ポツダム宣言をサンフランシスコ経由の短波放送から受信。最高戦争指導会議、意思表示を避ける決定(1945年07月27日)各紙朝刊、ポツダム宣言「政府は黙殺」と報道。午後4時、鈴木首相、記者団に対し宣言黙殺・戦争邁進を表明(1945年07月28日)天皇、木戸内大臣と三種の神器を岐阜県の飛騨一宮水無神社に移動させる相談(1945年07月31日)広島に原爆投下(1945年08月06日)未明、ソ連軍、満洲侵攻。午前9時55分、天皇、木戸内大臣と面会、戦局収拾の研究決定が必要との意思。午前10時半、最高戦争指導会議開始。午前11時2分、長崎に原爆投下。午後2時半、臨時閣議。午後6時半、臨時閣議(1945年08月09日)ポツダム宣言受諾の条件として、鈴木首相・東郷外相・米内海相… 午前0時3分、御前会議開始。午前2時頃、鈴木首相、天皇に意見求める。天皇、本土決戦に勝てないとして国体護持を条件にポツダム宣言受諾の「聖断」。午後4時、閣議で正式決定。早朝、政府、中立国を通じ連合国に申入れ、海外放送も。米国、バーンズ回答原案を作成、各国へ回付。(1945年08月10日)御前会議出席者は、天皇・六巨頭と平沼騏一郎枢密院議長。東郷… モンゴル、対日宣戦布告(1945年08月10日)午前0時45分、バーンズ国務長官の名で日本政府の申入れに対する連合国の回答文を米側が放送。早朝、東郷外相、鈴木首相に伝達。午前8時40分、回答独自入手の陸海軍両総長、受諾反対の上奏。午前11時、東郷外相が天皇に回答の趣旨と対応策を上奏。天皇、回答受諾に賛成。午後3時、臨時閣議、東郷外相の宣言受諾論と阿南陸相の対米再照会論(国体護持・武装解除・保障占領)が対立。午後3時20分、皇族会議(1945年08月12日)バーンズ回答英語原文 バーンズ回答日訳 1項“From the moment o… 午前10時20分、天皇、陸軍杉山元元帥、畑俊六元帥、海軍永野修身元帥と面会、終戦の協力求める。午前11時2分、御前会議開始、ポツダム宣言受諾決定。 午後1時、閣議で戦争終結を正式決定。次いで詔書案の審議、午後7時すぎ閣議決定。午後8時半すぎ、奉呈、御名御璽、大臣副署。午後11時、詔書発布、中立国を通じ連合国に申入れ。午後11時25分、天皇、終戦の詔書を録音。(1945年08月14日)天皇「敵側の回答に付ては総長及陸軍大臣の反対があり、国体に… 前日深夜から未明にかけ、近衛師団の一部が宮城占拠事件。阿南陸相自刃。午前11時、天皇臨席の枢密院本会議。正午、終戦の詔書の玉音放送。 鈴木内閣総辞職。(1945年08月15日)玉音放送の音声と原文と現代語訳 天皇、即時停戦下命。大本営から陸海軍へ停戦命令。朝鮮・西大門刑務所等から政治犯出獄(1945年08月16日)東久邇宮稔彦内閣成立。天皇、陸海軍人に、終戦の決定に従うよう勅語。札幌の第五方面軍、千島列島占守島の第九一師団に「一切の戦闘行動停止、ただし止むを得ない自衛行動を妨げず」と命令(1945年08月17日)東久邇宮首相が陸相兼務、外相重光葵、海相米内光政。 ソ連軍、占守島に上陸、第九一師団と交戦開始(1945年08月18日)政府、陸海軍の全部隊に停戦を示達(1945年08月19日)全権委員の河辺虎四郎陸軍中将ら、空路にて米軍占領下の沖縄県伊江島を経て、マニラで降伏文書・一般命令第1号を受領(1945年08月20日)第五方面軍から第九一師団に武器引き渡し容認の命令、停戦(1945年08月21日)米軍先遣隊、厚木飛行場到着。東久邇宮首相、記者会見で国体護持と全国民総懺悔を呼びかけ。ソ連軍、択捉島上陸(1945年08月28日)連合国軍最高司令官マッカーサー、厚木飛行場に到着(1945年08月30日)ソ連軍、国後島・色丹島上陸(1945年09月01日)日本政府全権団、東京湾上の米艦ミズーリ号で降伏文書に調印(1945年09月02日)降伏文書全文 ソ連軍、歯舞諸島上陸(1945年09月03日)沖縄守備軍代表、米軍と降伏文書に調印(1945年09月07日)朝鮮総督阿部信行、京城で米軍と降伏文書に調印(1945年09月09日)GHQ、東条英機ら39名の戦犯容疑者の逮捕を命令。東条、自殺を図る(1945年09月11日)台湾総督安藤利吉、台北で国民政府と降伏文書に調印(1945年10月25日) |
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