年表・アジア太平洋戦争終結の経緯

年表・アジア太平洋戦争終結の経緯

中村政則・森武麿編『年表 昭和・平成史1926―2011』、吉田裕『アジア・太平洋戦争』、毎日新聞社編『20世紀年表』、筒井清忠編『昭和史講義』、『同 2』、佐藤卓己・孫安石編『東アジアの終戦記念日』、加藤聖文『「大日本帝国」崩壊』、仲晃『アメリカ大統領が死んだ日 1945年春、ローズベルト』、佐藤元英『外務官僚たちの太平洋戦争』、『昭和天皇実録 第九』、荒井信一『空爆の歴史』、茶谷誠一『昭和天皇側近たちの戦争』

1942年
昭和17年
06月
08月
12月
1943年
昭和18年
01月
02月
04月
09月

イタリア、無条件降伏

(1943年09月08日)

御前会議、絶対国防圏を定める「今後採るべき戦争指導の大綱」採択

(1943年09月30日)

「帝国戦争遂行上太平洋及印度洋方面ニ於テ絶対確保スヘキ要域ヲ千島、小笠原、内南洋(中西部)及西部「…

10月
11月
12月

米中英、カイロ宣言発表。日本の無条件降伏、台湾返還、朝鮮独立など求める。

(1943年12月01日)

英語原文と日訳 "With these objects in view the three Allies, in harmony with those of the Unit…

1944年
昭和19年
03月

近衛文麿、女婿細川護貞と敗戦後の国体問題を話し合う

(1944年03月03日)

近衛「多少の瑕疵は止むを得ず」『細川日記』

細川護貞、昭和天皇の弟高松宮宣仁を訪問、終戦工作を話し合う

(1944年03月13日)

高松宮「最悪の事態については、今日から相当研究して置かねばならぬ問題であるが、恐れ多いこと乍ら、御…

06月
07月

東条英機内閣総辞職

(1944年07月18日)

小磯国昭内閣成立

(1944年07月22日)

08月

パリ解放

(1944年08月26日)

09月

佐藤尚武駐ソ大使、特派使節のモスクワ派遣をソ連外相モロトフに提議、拒否される

(1944年09月16日)

団長に擬せられたのは、満洲事変時に駐ソ大使を務めた広田弘毅元首相。

10月
11月
12月
1945年
昭和20年
01月

米軍、ルソン島上陸

(1945年01月09日)

ソ連軍、ワルシャワ占領

(1945年01月17日)

近衛文麿、天皇退位問題につき、重臣岡田啓介、米内光政海相、仁和寺門跡の岡本慈航と協議

(1945年01月25日)

仁和寺の側から「落飾(出家)した天皇を裕仁法皇と申し上げ、門跡として金堂にお住みいただく計画」が示…

02月

米軍、マニラ入城

(1945年02月03日)

ヤルタ協定。ソ連の対日参戦秘密協定

(1945年02月11日)

ヤルタ協定日訳 1946年2月11日にモロトフ外相と米国駐ソ臨時大使ジョージ・ケナンとの間で秘密協定の公表…

近衛、敗戦の必至と共産革命の脅威を天皇に上奏、天皇「もう一度戦果を挙げてからでないと、なかなか話はむずかしいと思う」

(1945年02月14日)

近衛上奏文全文、堀田善衛 『破滅型 近衛上奏文について』、伊藤隆 『昭和期の政治』庄司 潤一郎「近衛上…

米軍、硫黄島上陸

(1945年02月19日)

03月

硫黄島守備隊全滅

(1945年03月17日)

米軍、慶良間列島に上陸

(1945年03月26日)

04月

米軍、沖縄本島に上陸

(1945年04月01日)

戦艦大和による水上特攻(菊水作戦)失敗。鈴木貫太郎内閣成立

(1945年04月07日)

外相東郷茂徳、陸相阿南惟幾、海相米内光政。

ソ連軍、ウィーン占領

(1945年04月13日)

05月

ソ連軍、ベルリン占領

(1945年05月02日)

トルーマン、日本に対し無条件降伏を勧告。グルー国務次官、スティムソン陸軍長官からヤルタ秘密協定と原爆開発計画を知らされる

(1945年05月08日)

トルーマン「無条件降伏の要求は日本軍に対して行われ、決して日本人の絶滅あるいは奴隷化を意味するもの…

最高戦争指導会議構成員会議、対ソ交渉方針を話し合う

(1945年05月11日)

構成員は、首相、外相、陸相、海相、参謀総長、軍令部総長の六巨頭。鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外相、阿南…

米軍、那覇占領

(1945年05月31日)

06月

トルーマン、原爆政策に関するスティムソン暫定委員会による日本への原爆投下の勧告内容を、バーンズから知らされる

(1945年06月01日)

トルーマン「残念なことだが、自分の見る限り唯一の合理的結論は爆弾を使えということだ」

広田弘毅、ヤコフ・マリク駐日ソ連大使に対ソ交渉打診

(1945年06月03日)

箱根強羅ホテル。4日にも

御前会議、本土決戦準備の「今後採るべき戦争指導の基本大綱」採択

(1945年06月08日)

「地の利人の和を以て飽く迄戦争を完遂し以て国体を護持し皇土を保衛し征戦目的の達成を期す」

木戸内大臣、「時局収拾対策試案」起草

(1945年06月08日)

「天皇陛下の御勇断を御願ひ申上げ、左の方針により戦局の拾収(ママ)に邁進するの外なしと信ず」「天皇…

秘密御前会議、天皇が戦争終結工作着手すべきとの意思表示、対ソ外交交渉を決定

(1945年06月22日)

天皇より、戦争の指導については去る八日の会議において決定したが、戦争の終結についても速やかに具体的…

沖縄守備軍司令官・牛島満自決。組織抵抗終わるも、自決直前に局地抵抗の軍命令

(1945年06月23日)

軍命令「爾今各部隊は各局地における生存者中の上級者之を指揮し最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし」

07月

スティムソン陸軍長官、トルーマンに天皇制存続の「対日計画案・覚書」と「共同声明案」を提出。米軍、沖縄作戦終了を宣言

(1945年07月02日)

「対日計画案・覚書」5項「連合国のこれらの諸目的が達成され、かつ、日本国民の多数を代表し、平和的傾向…

トルーマン・チャーチル・スターリン、ポツダム会談開催、8月2日まで

(1945年07月17日)

チャーチルは5日の総選挙による政権交代のため、途中でアトリーに交代

ソ連、日本側申入れ拒否

(1945年07月18日)

米陸軍参謀本部からグアムの司令官へ極秘命令「天候が許し次第、最初の特別爆弾を一つの標的に投下せよ」

(1945年07月25日)

「第20航空軍第509混成群団は、1945年8月3日ごろ以降、目視爆撃が可能となり次第、目標:広島、小倉、新潟…

米中英、ポツダム宣言を発表

(1945年07月26日)

日訳全文 英語原文 「十、・・・日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一…

08月

広島に原爆投下

(1945年08月06日)

モンゴル、対日宣戦布告

(1945年08月10日)

09月

ソ連軍、歯舞諸島上陸

(1945年09月03日)

10月